ナイロビに戻り、ケープタウン出発までの約2か月。
フリーランスで翻訳の仕事をしながらも、限られた時間を大切な人たちと過ごす。
まずはケープタウン移住計画の報告。
驚くほどの皆のポジティブな反応。
一通り報告が終わったら後は残りのナイロビ生活を楽しむだけ。
9年という長いようで短かったナイロビ生活を振り返る。
1998年3月24日 ジョモ・ケニアッタ空港に到着
空港にはツアー会社の日本人女性が迎えに来てくれていた。
寒い日本からロンドン経由でやっとこさたどり着いたナイロビは暑くて、
アフリカに来た~という実感。
どうやら街中で学生のデモがあるということ。
ホテルに着くと、入口の正面で車が燃やされている。
チェックインを済ませて、ガラス張りのレストランでのんびりランチ、
のはずが、ガラス越しに学生と警察官の石と催涙弾が飛び交う。
どこか遠い国のニュースを見ているよう。
一緒に来た母も心配そうだし、何より自分もこの先この国でやってく自信がない。
ナイロビでツアー会社を営む女性に商社の駐在員の方を紹介してもらい
励まし(?)のお言葉をいただく。
不安を抱きながらも、翌日から野生の王国マサイ・マラへサファリに出発。
そこで一気にケニアという国が気に入ってしまい、初日の不安もすっ飛ぶ。
マサイ・マラから戻ったら早速大学生活が始まるが、その話は
また別の機会にゆっくり振り返ろう。
とにかく、知り合いも誰もいないケニアという国にきてから9年。
今は大好きな友人たちに囲まれ、自分の居場所ができて
完全にここが私の故郷となった。
「第二の故郷」という表現があるが、ナイロビは私の第一の故郷だと思う。
やっぱりケニアから離れるなんて悲しすぎる。
まだまだケニアにいる仲間たちが羨ましくて仕方ない。
と同時に、まだ未知であるケープタウンの生活も楽しみで仕方ない。
もうどうしようもない。